甘い戯れ
楽俊が金波宮を訪れたときには、二人で手を繋ぎ院子を歩くのが陽子の習慣になりつつあった。
普段ならば目的もなく、ただただ歩くことが多いのだが、その日は、先日見つけた躑躅が綺麗に咲いているからと、陽子が楽俊を案内したのだった。
「躑躅の花には、甘い蜜が隠されているんだよ」
知ってる、と首を傾げる陽子の仕草は、まるで童女のようだ。
「小さい頃は、それがとても魅力的だったんだ」
陽子は手を伸ばし、赤愛躑躅の花とガクとを器用に分け、花弁の根元にあたる部分にそっと唇を寄せた。
「そんなに甘いのか?」
「……ん? そうだよ。だって蜜だから――」
楽俊は誘われるようにそっと陽子に口付け、驚きのあまりに手から躑躅を落とす陽子に微笑みかけ、再び口付けた。
「……楽俊?」
「いや、やっぱり甘いな」
そろりと楽俊の手が伸び、頬の輪郭を確かめるように撫でられると、陽子は楽俊の双眸に魅せられたように身動きできず、熱に浮かされたようにただただ楽俊を見つめる。
頬を撫でるという行為、ただそれだけで楽俊は陽子を誘う。
一番近い場所で触れ合うようになってから、ただそれだけのことで、楽俊が誘っているのだと陽子は気付くようになった。
そして、楽俊の近付く気配に陽子はそっと瞳を閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆
楽俊の口付けは、時々とても深い。
それは「貪る」という表現では追いつかないくらいに深く、陽子はされるがままに溺れてしまう。
息が苦しい。
楽俊は、息継ぎができるように動きを緩めてくれているのに、何故か酸素が全く足りない。苦しい。
まるで溺れていくようだと、意識の片隅で陽子は思った。深く暗い場所に引きずりこまれるような、恐く、けれど厭わしいものではない感覚。
胸が苦しい。
溺れる者が溺れぬため何かを掴もうとするように、陽子は手を伸ばした。
楽俊の肩に添えられていた陽子の手は、やがてその背に縋りつき、そして今はそれさえもだらりと滑り落ちたまま体の脇に垂れている。
受け止めることも反発することも、もはや何も叶わず、ただただ楽俊の動きに翻弄されていた。
脱力しきった体を抱きしめるその仕草は、蕩けてしまいそうなほど優しいのに、否、口内を蹂躙する動きさえ、本当はとても優しい。
優しく、けれど、迸るように襲いくる獰猛さ。
声を引きずり出されるように、幾度もいたる部分を撫で上げられ、感覚などないはずの歯の表面さえも接触に震えるようで、陽子は小さく頭を振った。
その反応をどう取ったのか、あるいは他の理由のためか、楽俊の顔がようやく離れる。
離れると言っても、楽俊は動けば触れてしまうほどに近い距離で、焦点の合わない陽子の顔を見下ろす。
陽子は、もはや頭部を支えきれず、後ろに回った楽俊の大きな左手に支えられているだけの、がくりと仰け反った顔。
大きく開かされ続けた顎は痺れたように感覚がなくなっており、陽子は口を上手く閉じることもできないで半開きのまま忙しない呼吸を繰り返した。
楽俊の息も荒いが、陽子の比ではなく、僅かに乱れているにすぎない。
なのに、彼はまたそっと唇を重ねてくる。
先程までと同じ、優しく、けれど容赦のない深い口付け。
まるで嵐だ。
陽子は嵐によって荒れる海に浮かぶ、小さな船のように翻弄される。
◆ ◆ ◆ ◆
楽俊は時々、硝子細工を触るかのように陽子に触れるときがある。そんなときがあるかと思えば、今回のように突然、濃密な触れ合いを仕掛けることもあった。
それらはいとも容易く陽子を追い込むのだが、だが決して楽俊は陽子を捕らえようとはせず、楽俊は追い込みながらも、必ず逃げ場や逃げ道を作っていた。
陽子が僅かでも嫌がったり、先程首を振ったように拒否の意を示したならば、それ以上踏み込もうとしない。
本気で陽子が抵抗すれば、楽俊を退けられることを教えるためか、生来の不器用さからか、それとも半分を占める獣性の本能によるものなのか。
わかるのは、語るよりも遥かに雄弁に楽俊自身を伝えてくるということだ。
奥深い場所まで侵入し、ゆるりと撫でていた楽俊の舌が、生理的に浮かんだ陽子の涙を舐め上げた。
舐め上げられるいう行為に、陽子は羞恥で頬を赤く染める。
整ってなどいなかった息は、もう途切れる寸前で、気のせいなどではなく酸欠で瞼の裏にいくつもの閃光が瞬く。
連続する白い闇に呑まれてしまいそう。
実は楽俊は自分を苛めたいだけじゃないのかなどと、頭の隅で一片だけ残った変に冷徹な思考が呟く。
勿論、そんなはずはないとわかっているけれど。
楽俊の口付けは、いくつの言葉を連ねるよりも雄弁で、それ自体が色を帯び、二人でいる場所が夜に変わる行為だと知る。
そうして今日も、音なき世界で楽俊の想いを刻むのだ。