花の影



 とある晴れた日。

 楽俊と陽子の二人は、ある小さな家で時間を過ごしていた。
 その小さな家は、陽子が息抜きのために造った、というよりも浩瀚を宥め透かして了承を得て「造ってもらった」という方が正しいだろう。
 どうして二人なのかというと、それはやっと恋人となった楽俊と陽子に甘い時間を過ごさせてあげようという、陽子の友人達の計らいだった。
 景麒は家を建てることに対し、初めは眉間に皺を寄せた。おそらく先王の箱庭を思い出したのだろう。
 だが、建築場所が金波宮内であり、陽子自身がその気になればすぐにでも執務を行なうことができるようにしたのだと説明し、また、たまには一人の時間を持つことで思考を巡らせることも大切ではないでしょうか、などと浩瀚と遠甫の援護射撃もあったお蔭か、無事にその小さな家は完成したのだった。

 完成後、その家を両手で収まるほどに利用した陽子は、少しずつではあったが下界の市場で見つけた自分好みの調度品やらを収め、その家を自分好みに染めていった。
 試験明けに遊びに来る約束をしていた楽俊を、幼子が自分の秘密基地を見せびらかすように陽子がつれていった――のが、四日前の出来事。

 二人が家で過ごすようになって三日目の朝、楽俊が一人回廊を歩いていた祥瓊に声をかけた。
 何でもはしゃぎすぎたらしく、少しばかり熱があるので陽子を休ませてやってほしいと言う。
 使令で運ばせてもらえと言ったけれど、頑として首を縦に動かさないと楽俊は苦笑し、申し訳ないと頭を下げた。
 祥瓊はしばし考え、ちょっと待ってて、と言い残し来た方へと戻っていった。
 しばらく楽俊がその場で待っていると、祥瓊が戻ってくる。
 浩瀚様のお許しが出たからあと五日ばかりはゆっくりしててかまわない、と祥瓊は言い、陽子にしっかり休んでおきなさいって伝えてちょうだい、と晴れやかに笑った。

 その話を耳にした景麒が鈴に、栄養のつくものや体にいいものを籠に入れて二人のいる小さな家にもって行くように言い、そして主上の様子を見てきてほしいと頼んだ。
 台輔に頼まれたという事実に鈴は慌て、お任せ下さいと大見得を切った。
 景麒の表情が微かに緩んだのを見て、鈴は使命感に燃えた――のを、後でひどく後悔することになる。


 鈴が訪れたとき、楽俊は家の傍らに掘った井戸で水を汲んでおり、荷物を手にしている鈴に気付くと柔らかに微笑んだ。
「楽俊」
「鈴。それは……もしかして見舞いの品か?」
「うん、そう。台輔に頼まれてもってきたの。陽子の調子はどう?」
「今さっき眠ったところだ。今はもうほとんど熱はないが、一応用心のために寝かせてる」
 楽俊の寝かせてる、という表現に鈴は思わず噴き出した。
「大人しくさせるのは大変だったでしょ」
「うん……まぁ、少しばかり」
「台輔がね、心配なさっていたわ。ここのところ執務の量が増えてしまったせいだろうか、って」
「いや、陽子の話を聞く限り、そうじゃねぇぞ。ただ……うん。ちょびっと、はしゃがせちまって――おいらがついていながら申し訳ないと、台輔にお伝えしてくれ」
 そう言って、楽俊は鈴の見舞い品を受け取るために僅かに身を屈めた。
「――っ!」
「もう大丈夫、とも」


◆  ◆  ◆  ◆



「陽子。大丈夫か?」
「うん……今、鈴が?」
「あぁ。台輔が心配されてたみたいだ。執務量が増えたせいじゃないかって」
「……そんなんじゃないのに」
 呟く陽子に、楽俊は見舞いの品を円卓に置くと、陽子が横たわる寝台に腰をかけた。
「大丈夫か?」
 額から頬に手を滑らせると、陽子は唇を尖らせた。
「……何て言ったの?」
「ん? 少しばかりはしゃがせてしまった、とだけ」
 その言葉にほっと息をつくと、陽子は体を横にした。そうした方が、楽俊の顔がよく見える。
「こうしている間にも、仕事溜まっちまうな」
「そうでもないんじゃないかな。私じゃなくても問題ないものは片付いていくわけだし」
「だけど、陽子にしかできないものもあるだろう? おいらのせいで悪いな」
「そうだな……執務を離れすぎるのは、まだ皆にいらぬ心配をさせるかもしれない」
 箱庭に引きこもるばかりになってしまった女性を思い出すから。
「それに、動いていないから体が鈍ってしまいそうだ」
「……そう、だな」
 言って楽俊は露わになっていた首筋に唇を寄せる。
「ら……!」
「うん」
 顔を上げた楽俊はにっこりと笑う。
「もう少しだけ」



「ただいま」
「あら、おかえり鈴。早かったのね」
「うん……」
「って、やだ。鈴、顔真っ赤じゃない。熱を移されてきたの?」
「ううん、そうじゃないけど――あ、あの陽子のことだけどね」
「どうだった? 私も見舞いにいこうかしら」
「あ、あのね、その必要はないと思う。もう、心配ないみたい」
「……? そうなの?」
「うん」

 ――彼は、卑怯だ。

 見慣れぬ彼らしからぬ着流し姿に、僅かに香った覚えのある甘い匂い。
 何より、誰よりも気の回る彼が、私を家へと入れなかった。
「あのとき台輔に会わなければ……!」
「鈴?」

 ――私がこんな思いする必要もなかったのに。



 陽子が熱で寝込んで、もう四日目。
 閉鎖された、あの小さな空間は、きっと明日からは何事もなかったように戻っているはず。
 明日までの五日間は、きっと――彼らの蜜月だ。






スカビオサ・・・朝の花嫁