雨音に君を想う
さあさあと、止まぬ雨が降っていた。
雨の日は嫌いじゃない。
だけど、今は――少し、苦しい。
楽俊に出会ったときのことを、思い出すから。
楽俊に出会ったときの、自分の置かれた状況を思い出すから。
だから、雨の日は何となく、苦しい。
「あれ、まだ起きてたのか」
「……楽俊」
真夜中のことだった。
露台へと続く窓際の長椅子に座り、ぼんやりと雨の降る宙を眺めていた陽子の側に楽俊は歩み寄り、後数歩というところで立ち止まった。
それが不満であるかのように陽子が体を横にずらし、自らの隣をとんとんと叩くので、促されるがままに、楽俊はそこへと座る。
緑の双眸は、ただ真っ直ぐに前方を見つめていた。
「何を考えているんだ?」
「別に何も。……ただ、ちょっと物思いに沈んでただけ」
「――五月雨、というからなぁ」
楽俊の言葉に、ふ、と陽子は目を伏せたのを見て、今が夜であることが勿体ない、と楽俊は思う。
日中であれば伏せた睫毛が柔らかな影を作り、とても綺麗だったろうに。
「……ねぇ、もし私が溶けたら、楽俊はどうする?」
唐突な問いかけに、楽俊は咄嗟には答えることができなかった。
は、と戸惑ったような音を返す。
「私が溶けて――そうだな、水にでもなってしまったら、楽俊はどうする?」
「それは、困るなぁ」
「……そうじゃなくて」
即答された言葉が面白かったのか、陽子は笑いを零した。
何かおかしなことを言っただろうかと楽俊は首を捻り、
「おいらはその水を、手で掬いあげよう」
と言い直した。
「へぇ?」
「そしてその水を凍らせて、今一度、陽子の形に戻すんだ」
「……なるほど」
短く陽子は答え、視線を真っ暗な空へと向けた。
雨の止む気配は、まだない。
「じゃあ、私がこの雨になったら、楽俊はどうする?」
「雨?」
「うん、そう。手の平で受け止めきれる量ではないし、地面に浸み込んでしまったら凍らせて戻すこともできない」
どうする、と、試すような響きで陽子は問いかける。
楽俊はすぐには答えず、目を閉じてしばらく考え、やがて、ゆっくりと口を開く。
「――おいらは、種になろうか」
「……たね?」
予想もしない答えだったのだろう。陽子は首ごと隣へ向け、聞いた。
闇の中で瞬く緑の双眸を見据え、楽俊は続ける。
「あぁ。種に、だ。おいらが種となったら、地に蒔かれて、空から降る雨を浴び、芽吹くときを待つんだ」
「……」
「芽が出たら、太陽と、雨となった陽子とを糧として成長して、やがて大きな木となる」
「木?」
「そう。慶の全土を見渡せるような、大きな木だ。陽子が雨となったらおいらは大樹になって、張り巡らされた根で陽子を包んで、そして豊かな緑を作り出す」
「……素敵な話だな」
「豊かな緑のあるところには、美しい水がある。豊かな緑と、美しい水があるところには、民が集まるだろう。民が集まるところは栄えて、その中心にはおいらと陽子がいる」
目の奥が熱を持つ。
「素敵な、話だ」
気を緩めれば泣いてしまいそうだ。
呟き、こつんと楽俊の肩口に陽子は頭を預けると、大きな手がその頭をゆるりと撫でる。
「眠くなっちまったか?」
「楽俊の話を聞いたから、かな」
「わりぃな。おいら、こういった話はどうにも苦手で」
苦笑しながら、それでも陽子の頭を撫でる手を止めようとはしない。
「……いや」
陽子は目を閉じた。
瞼の裏に、緑の生い茂るとても力強く大きな木が見える。
その木のもとで幹に身を預け寝ているのは、自分なのだろうか、それとも。
「……陽子?」
楽俊の声にうん、と夢心地で答える。
今日はいい夢が見れそうだと、陽子は思った。
大樹の作り上げた温かな陽だまりの中、その大きな幹にもたれ、まどろむ。
そして、その隣には楽俊がいるのだろう。
近くにはきっと、祥瓊や鈴、景麒や浩瀚に遠甫、桓魋や虎嘯に夕暉など、大切な仲間達もいる。
それはきっと、素晴らしい夢だ。
光に満ちた、幸福の夢だ。
さあさあと、止まぬ雨は降り続ける。