再見のあとで
ある日、六太が楽俊を伴って慶国にやって来た。
勿論、事前に何らかの連絡が入っているはずもなく、陽子が浩瀚に頼みに頼み込んだ結果、どうにかして執務の時間を短縮してもらうことができた。
けれど、それでも執務が終わるのは午後のお茶の時間を過ぎるだろうと言われ、肩をひどく落とした陽子を憐れに思ったのか、浩瀚は執務が終わるまで楽俊殿には同室にいていただければよろしいのでは、と付け加えた。
おそらく、最近休む暇もなく働き続ける日々が続いているにもかかわらず、文句一つ言わず積極的に執務に取り組んでいた陽子に対する、浩瀚なりの褒美であり、執務をこなしてもらわなければならない冢宰として最大の譲歩であったのだろう。
執務を行なう陽子と同室で、ということに楽俊は戸惑っていたようだが、陽子にお願いだと頭を下げられ、浩瀚から国の法についてまとめられた書籍をどうぞと渡され、逃げ場を失い、最後は諦めたように頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆
あと数枚で執務から一時開放される、というときになって陽子は不意に顔を上げ、筆を置いた。
「楽俊」
陽子の呼び声に楽俊は論文作成に必要な部分を書き抜く手を休め、首を傾げる。
「何だ?」
「何でもない」
「……楽俊」
「楽俊」
「……どうしたんだ、陽子? さっきから、おいらのこと呼ぶばっかりで」
陽子は首を横に振り、何でもないと言う。
「何でもないなら、おいらのことを呼ぶ必要はないだろう?」
「――でも、本当に何でもないんだ」
「そっか。何でもないなら仕方ないな」
「……うん」
そうして、再び陽子は筆を持ち、書類に目を通し始めた。
最後の一枚に御名御璽を加えれば終わる、というときに楽俊はそっと口を開いた。
「陽子」
「何?」
自らの名を書こうとしていた陽子は一旦筆を置くと、首を傾げた。
「いや、何でもねぇ」
「……陽子」
「どうかした?」
これは、ただ人物が入れ代わっただけで、先程と同じだ。
決定的に違ったのは、楽俊の次の言葉だったが。
「――陽子の声を聞きたかったんだ」
いつもは青鳥からの声だけだからな。
陽子の口から聞きたかったんだ。
柔らかく微笑む楽俊に、陽子は耳まで朱に染めた。
私が躊躇ってしまう言葉を、楽俊が口にする度に、かなわないと思う。
けれど、それは私の想いを汲み取ってくれている証でもあるから、嬉しいと思ってしまう。
またね、と言って別れた後すぐに、次に会えるときを想ってしまう。
これが恋なのかな、と考える。
あちら――蓬莱にいたときは、恋愛事に興味がなかったせいか戸惑ってばかりで不安になることも多いけれど、今はその気持ちを大事にしていこうと思う。
いつどうなってしまうかわからぬ身の上だから、今この瞬間を大切に綴っていこうと、楽俊が去っていった空を見つめる。
六太と共にたまに乗った姿はもう見えないけれど、その先に楽俊が入るような気がして、祥瓊に呼ばれるまで、陽子は日の沈んだ空をずっと見ていた。
◆ ◆ ◆ ◆
六太と共にたまのもとへ向かう楽俊は、名残惜しげに微笑む陽子の両手を握って笑いかけた。
また会いに来るからと伝えると、破顔して今度こそ満面の笑みを浮かべた。
「次は私が会いに行くから」
そう言った少女に、
「来るときは台輔の許しを得るんだぞ」
念を押すと、
「勿論、そのつもりだ」
と、元気な返事が返ってきた。
本当にそうしてくれればいいのだが、と一抹の不安を抱えながらも、そうしてくれと楽俊は笑い、先にたまに乗った六太の後ろに座った。
「またな」
「うん。またね」
陽子は空へと駆け出した二人に向かって大きく手を振る。
そうやって笑いかけてくれる度に、「また」と言う度に、楽俊は不安になる。
いつまで、続けていくことができるのだろうか。
いつまで、自分は陽子と付き合っていけるのだろうか。
いつまで、自分は陽子と同じ時間を生きていけるだろうか、と。
まだ見ぬ未来に不安を抱く。
そして、どうかこのまま。
どうか、もうすこしだけこのままで、と思ってしまう。
自分の抱く感情が溢れて陽子に向かってしまわぬように、どうかこのまま、と。
自分では自制できているように思っていても、そう思っている時点ですでに手遅れであったと二人が気付くのは、また別の話。