逢いたくて、逢えなくて2
人通りのない園林の木陰に、目的の人物を見つけた彼はにやりと笑い、気配を殺し、
「うーん……」
何かを握り締め、頭を抱えた楽俊の背後から、彼は現われた。
「よ、楽俊!」
声と共に、ぽんと方に手を置かれ、文字通り楽俊は飛び上がった。加えて全身の毛が逆立っている。
「た、台輔……」
六太は楽俊の反応のよさに、紫色の目を瞠った。
「悪い。まさか、そんなに驚くなんて思わなくてさ……で、どうしたんだ?」
「何がです?」
「いや、さっきから頭抱えてうんうん唸ってたじゃねぇか」
「えぇっと、その……」
そう言って差し出したのは、一枚の紙。
どうやら奏国の大学講師が特別講義に招かれているらしい。
「よかったじゃないか。なかなかあることじゃねぇから、勉強になるだろう?」
「はぁ、その通りなんですけど、その日はちょっと用事――いや、約束をしていて……」
「は、はーん……陽子か」
「そうなんです。あいつのことだから、その日を空けるために執務を頑張っていることは明らかです。なのに、おいらは――」
「その講義に出席したい、と」
六太の言葉に楽俊は項垂れた。
「悪いことじゃないと思うけどな。お前は学ぶために大学にいて、それは誰に強制されたわけでもなく、お前が選んだことだろう? それに、陽子なら講義を取るよう言うと思うぞ」
で、と六太はおどけたような口調で続けた。
「詫びの手紙と何か贈物でもしてさ、素直に謝っとけ」
「……そう、ですね。あいつはそれくらいで怒ったりしねぇだろうし――素直に謝っておきます」
楽俊はふっくらと微笑を六太に向け、頭を下げた。
「ありがとうございます、台輔」
「礼を言われるほどのことじゃねぇよ。善は急げってことで、今から何か見に行こうぜ。陽子への贈物をさ」
「わ、わ、台輔〜」
六太は楽俊の腕をひょいっとつかみ、そのまま引き摺るようにしてその場を後にした。
半ば引き摺られて訪れた市を、きょろきょろと頭を巡らせながら見回した。
多くの人が行き来し活気のある様に、ほんの僅かに尻込みながらも楽俊は足を進め、けれど、母親にですら贈り物らしい贈り物などしたことのない楽俊は、再びうんうんと唸り始めた。
それを見かねた六太は苦笑し、楽俊の肩に腕を回す。
「楽俊、そう難しく考えるなよ。陽子が何を貰ったら喜ぶかなんて、お前には簡単だろう?」
「そう言われましても……おいら、陽子の好きな色すら知らないんです」
しおしおと髭と肩を落とす楽俊を落ちつかせるように、六太はその肩を叩いた。
「そんなもの知らなくても、お前が陽子のことを思って選んだものをあげるんだから、何を贈っても喜ぶと思うぞ?」
「でも――」
「実際、逆の立場だったら、お前だって嬉しいと思うだろ?」
六太の言葉に、楽俊は頭を抱えて品を選ぶ陽子の姿を思い描いた。
真剣な眼差しで選ぶだろう、その姿に知らず楽俊は微笑む。
渡されるそれが何であろうと、きっと自分はとても嬉しい。
「そう、ですね。とても嬉しく思います」
「だろ? だから、肩の力抜いてぶらぶらしようぜ。決めたものがなくても、これだと思うものには目が引かれるもんさ」
「はい」
「んじゃ、順番に端から見ていこうな!」
「はい!」
そうして二人は、今年はどんな作物の出来がよいか、同じ品物なのに他の店の方が安かった、やっぱり範国の品は別格だ等々ひやかしながら市を進んでいった。
そして、市の半ばに広げられた「それ」が楽俊の目を引いた。
店先につられた棒に、色鮮やかな組み紐がかけられ並べられている。
同系色ごとに並べられたそれは、離れた場所から見ると虹を思わせた。
歩みを止めた楽俊を、数歩先まで進んでしまった六太が振り返る。
「どうした、楽俊?」
かけられた声に我に返った楽俊は、はっと六太へ視線を向けた。
「え、と……ちょっと、見てもいいですか?」
その言葉に笑みを浮かべ、六太は楽俊のもとへと歩み寄る。
「お、何か目についたのか?」
「はい」
示された指先を辿り、目当てのものを理解した六太は楽俊の手を引き、その店先へと近付く。
色とりどりの組み紐は、同色であっても組み方や端につけられた飾りが異なっており、どれとして同じものはないようだ。
「いらっしゃい。どれになさいますか?」
「これだけあると、なかなか選べないな」
肩を竦める六太に、奥で何やら作業をしていた女性が笑った。
「そうおっしゃらずに、ごゆっくりお選び下さいな」
「ありがとうございます」
数ある組み紐の中から選び始めた楽俊を見ていた六太が視線をふと動かすと、店の主と目が合った。
簡単な作りの椅子に腰かける初老の女性は微笑み、六太に近くの椅子を勧める。
「お、悪ぃな」
勧められるままに座った六太は、女主人の隣で真剣な眼差しで組み紐を手に取り選ぶ楽俊へと視線を向け、膝についた手の上に顎を乗せて、眩しいものを見るかのように僅かに目を細めた。
視界の端で六太が女主人の横の椅子に腰かけるのを知り、楽俊は申し訳なく思ったが、気持ちを切り替え、目の前に並ぶ組み紐を手に取った。
組み紐の両端についている飾りの形状や色と、組み紐自体の組み合わせを、陽子の印象に照らし合わせながら一つ一つ選んでいく。
しばらくすると、ある一点に楽俊の視線が止まった。
そっと手を伸ばしたそれは、中央から緑のぼかしの入っている組み紐で、両端に光の加減で青にも碧にも見える小さな硝子玉がつけられていた。
さほど濃くない、森の緑を思わせるその色は、緋色とも言うべき陽子の赤い髪に映えるに違いない。
そして、青にも碧にも色の変化する硝子玉は、くるくると表情の変わる陽子の双眸を連想させ、手に取った組み紐は何より陽子に似合うだろう。
「あの……」
「お決まりになられましたか」
顔を上げたそこには柔らかく微笑む女主人と、いつの間にか茶を啜っている六太。
「決まったみたいだな」
「はい。えぇと……」
「贈り物ですか?」
「……はい」
すると女主人は小ぶりの木箱から、小さな浅葱色の巾着を取り出し、楽俊から組み紐を受け取ると丁寧にまとめ、巾着の中にしまった。
提示された金額ちょうどのお金を払うと、女主人は椅子から立ち上がり、
「またのご来店をお待ちしております」
と、二人に向かって頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
軽く会釈し、楽俊達はもと来た道を戻っていく。
市を出る頃には随分と日が傾き、二人の影も出かけていったときに比べ随分と伸びていた。
大学へ戻ると、楽俊は六太に向かい深々と頭を下げた。
そんな楽俊に六太は苦笑し、手をひらひらと横に動かす。
「台輔、今日は本当にありがとうございました」
「いや、頭を下げるほどのことじゃねぇって。……でもさ、いいものが見つかったみたいでよかったな」
六太の温かい声に、楽俊はふっくらと笑う。
「はい」
「で、だ。お前、俺が始めに言ったの覚えてるか?」
「始めに――? ……えっと、詫びの手紙ですよね」
「おぉ、それそれ。明日――は、流石に無理……そうだな。明々後日の夜に取りに来るから、それまでに書いておけよ?」
その内容に楽俊は首を傾げる。
「……? それって、台輔が陽子に届けて下さるってことですか?」
「その方が、確実にお前たちの約束した日の前に陽子の手元に届くだろう?」
さも当然と言わんばかりの六太に、楽俊はつま先から髭の先までぴんと硬直し、やがて、あわあわと両手を動かす。
「え? いや、そうなんですけど、でも、あの……」
慌てふためく楽俊に六太は声を上げて笑い、そして、毛の逆立つ肩を優しく叩いた。
「まぁ、落ち着け」
「う……は、はい」
「これは、俺がそうしたいと思っているから、しているに過ぎないことだ。誰かに強要されてとかじゃなくて、俺自身の意思でそうしてやりたいと思ってる」
紫水晶を思わせる紫紺の双眸は光を放ち、優しく楽俊を照らす。
「だから、いいんだよ。お前は素直に俺の好意に対して、『ありがとう』って言えばさ」
笑う六太の顔はいたずら小僧そのもので、けれど、小さな背が負う緑の大地を楽俊は垣間見た気がした。
その目は六百年を生きてきた者の重みがあり、枯れ果てた大地が緑に覆われいくのを見守った六太の歴史を感じさせた。
六太の言うように、六太から向けられる好意を申し訳ないとも思った。けれど、嬉しいとも感じたのだ。
それは、六太の申し出ではなく、六太がそう申し出るほどに自分に好意を持ってくれている、ということに対してだ。
体から力を抜き、楽俊は微笑んだ。
「ありがとうございます、台輔」
「おう!」
じゃあな、と手を振り去っていく六太を、全てが赤に染まる中、ずっと楽俊は見つめた。
その小柄な後ろ姿が見えなってもその場に立ち尽くす楽俊を、他の者が奇異の目で見ることもあったが、楽俊がそれを気にするわけもなく、けれど、空に藍色が混じり始める頃、楽俊は何かを決意したように足を踏み出し、大学へと戻っていった。
青鳥に、奏国の大学講師が行なう特別講義に出席したいので約束を守れない旨を託した後、楽俊は卓子に文房四宝を広げた。
陽子への手紙のためにと用意した、楽俊からすれば十分高価な紙をしばらく見つめ、意を決したように筆を滑らせる。
『陽子。約束を守れなかったこと、本当にすまねぇ。でも、おいらは学生で、だから――』
『――って、延台輔に言われちまった。本当にその通りだと思う。だから、おいらの好意を陽子にも受け取ってもらいてぇ』
『――喜んでくれると、おいらも嬉しい。それじゃ、またな』