逢いたくて、逢えなくて



 庭院にある石案に肘をついて遠くを眺めやる陽子の姿に、偶然近くの回廊を通っていた鈴は、共に歩いていた祥瓊に声をかけた。
「陽子、何かあったのかしら?」
「今日はね、楽俊と会う約束をしていたの」
「あぁ、そうだったわね。陽子ったら、久し振りだからってとてもはしゃいで――?」
 鈴の言葉に祥瓊は大きく溜め息をついた。
「正確に言うとね、会えるはずだったのよ」
「え?」
「なんでも、奏国の大学から先生が特別講義に来られるとかで――」
「会えなくなった、というわけね」
「そういうこと」
「それで、陽子は不機嫌なのね」
「不機嫌っていうわけでもないわね。どちらかと言えば、拗ねているんじゃないかしら」
 祥瓊の言葉に首を傾げ、再び陽子へと視線を戻す。
「とりあえず、お茶の準備でもして話しかけてみましょう」
「そうね。内に溜め込んでいるよりも、話してしまったほうが楽になるし、それに、あんな陽子の姿を見るのは嫌だもの」


 お茶にしましょ、と背後からかけられた声に陽子は驚き、微笑む二人の手元を見て嬉しそうに笑った。
 用意されたお茶や茶菓子を楽しみながら、三人は雑談をしていた。
 そして、ふと会話が途切れたときに、
「それで? 陽子はどうして元気がないのかしら?」
 祥瓊が陽子に向かい、にっこりと笑い、その横では、鈴が合わせたかのような笑みを浮かべている。
 特に祥瓊は容姿が整っているだけに、その笑みには迫力があった。
 二人の雰囲気に気圧されるように、陽子は固まるが、それも一瞬のことで、すぐに苦笑する。
「何でもない――と、言ったところで、騙されてはくれないよね?」
「当然じゃない」
「それで、どうしたのかしら?」
 促すように微笑む二人から視線を外し、陽子は手元の茶器を見つめ、弄びながら口を開いた。
「祥瓊は知っているだろうけど、今日は楽俊と会う約束をしていたんだ。けれど、急に奏国の大学から講師の方がいらっしゃる、ということで今日のことが流れたんだ……」
 視線を上げ、陽子は笑う。僅かに翳りが見えるのは否めなかったが。
「私だって、ちゃんとわかってる。遠甫のもとで勉強するようになって、学ぶことの大切さや重要さを強く実感しているし、奏国から来られる先生の講義を受けることがどれだけ楽俊のためになるのか――わかっているつもりだ」
「そうね。陽子はちゃんとわかってる」
 祥瓊は柔らかく微笑んだ。
「だけど、この日のために色々と準備をしていた陽子は面白くないわよねぇ」
「……気付いていたの?」
 陽子は祥瓊の言葉に目を瞠り、頬を微かに染めた。
「え、何のこと?」
 鈴が首を傾げると、祥瓊は含みのある笑みを陽子へ見せた。
「あのね、鈴。陽子はこの日のために浩瀚様にお願いして、今日一日を空けられるよう執務内容を調整してもらっていたのよ。それから遠甫には台輔が楽俊との時間に入り込んで来られないようにしてもらったり、他には――」
「祥瓊! それ以上は勘弁してくれ……」
 何故そんなことを知っているのかという疑問よりも、それ以上を語られる羞恥が勝り、陽子は祥瓊の言葉を遮るように声を上げた。




 折角、浩瀚に空けてもらった一日を、半ば棒に振ってしまった形の休日ではあったが、激務が続く日々の中でいい休養になったと、陽子は思うようにしていた。
 人気のない庭院に佇み、日の沈む雲海を眺めていると、背後に近付く気配を感じ取り、陽子は振り返った。
「よう、陽子」
 六太が片手を上げて茂みから姿を現し、少し遅れて祥瓊が茶器を持って現われた。
「こんにちは、六太君」
 陽子は側の路亭へ六太を促し、椅子に座ると祥瓊から満たされた茶器を受け取った。
「今日はどうしてこちらに?」
「楽俊からの預かり物を届けにな。これと、これだ」
 懐から取り出した二つのものを陽子に渡すと、六太は卓に用意された果物に手を伸ばす。
 それを視界の端で見ながら、手渡されたものを陽子はまじまじと見つめた。
「巾着、と手紙?」
 手紙はそのまま卓へ置き、さっそく口を広げ、中身を取り出す。
 飾り気のない浅葱色の巾着から出てきたのは、中央から緑のぼかしの入っている組み紐で、両端に光の加減で青にも碧にも見える小さな硝子玉がついていた。
「あら。髪飾りでしょう、それ」
 手の中の組み紐を半ば呆然と見つめる陽子に、それを見かねた祥瓊が声をかけた。
「よかったわね、陽子」
 その一言で我に返った陽子は頬を染め、小さく頷いた。
「……うん」
 組み紐を巾着へと再びしまうと、側にいる二人に見えぬよう不自然ではない程度の角度で、陽子は手紙を広げた。
 真剣な眼差しで字を追っていた陽子だったが、しばらくすると、読み終わったのか手紙を畳み、巾着とそれを握り締め立ち上がる。
「……楽俊に鸞を飛ばしてきます」
 すみません、と六太に声をかけ路亭を飛び出していった陽子を見送り、後ろ姿が見えなくなると、祥瓊と六太は顔を見合わせて笑った。
「まったく、世話の焼ける二人だよな」
「そうですね」
「でも、それが二人らしいって言えば、二人らしいから仕方ないか」
 だけど、周りがやきもきするんだよなぁ、と苦笑する六太に微笑みかけ、祥瓊は陽子が向かっただろう場所へ視線を向けた。


『楽俊。贈物と、手紙をありがとう。とても嬉しかった。大切に使わせてもらうね。それから――』




アガパンサス・・・恋の便り